ついに県庁を脱出できることになりました。
転勤です。
ひやつほー!
思えば苦節7年間。
口の悪い同僚には、
「普通なら2・3年で転勤だろう。懲役7年は長い。おまえ一体、どれだけ悪いことをしたんだ。」
と言われました。
ようやく、ようやく転勤です。
しかも、希望通りの水産試験場へ。
長年夢見てきた「研究員」になることができるのです。



「もう、幼稚園か…」という気持ちと「ようやく、幼稚園か…、」という思いが一緒に来るんですね。
こんなに感慨深いものだとは思っていませんでした。
この日に向けてシグマのレンズ(28-200mm)も買って(中古だけど…)、お祭りの写真でレンズに慣れて、と準備はバッチリ。
4月1日の転勤初日、新しい職場に赴任して最初にしたことは月間計画が書き込まれているホワイトボードの4月8日をチェックすることでした。
「あれ!何か予定が入っている!!転勤初日でよくわからないけど、大事な用事のような感じ、ヤバイ(´-ω-`;)」
おふくろからは姉夫婦(子供3人)について「子供3人とも、両親揃って行ってるからね!!」
上さんからは兄夫婦(子供3人)について「3人とも両親揃って行ったみたい。」
と、すでにプレッシャーを掛けられています。



4月1日付けで転勤になりました。
前の仕事がつらかったので、今はほんとにうれしいな。
この転勤で行政職から研究職へ返り咲き。
あこがれの研究者になることができたわけですわ。
「頑張ろう!」という気が湧いてくるんですよね。
久しぶりです、こんな気持ちになったのは。
これまでは、なんとかその日をしのいで、って感じでした。
課長に感謝しなくちゃ。
周りのみんなにも。
みんなのおかげで、なんとかここまで来られたんだもんな。



終わりました。
こんな下手な書き出しの文章も、あったものではありませんが、今の気持ちはそんな感じなのです。
終わったな、と。
毎年、こんな気持ちになります。
お車がギシギシ動いて、囃子が聞こえて、若衆が喧嘩して…。
あれは確かに現実なのですが、今年は月曜日が雨のため、お車の解体は行われず、今も鞘の中にはお車は存在しているはずなのですが、通常であれば、もうその形もないんです。
この虚しさっちゅーか、儚さっちゅーか…。
ホントは土曜日も日曜日も息子をお車の上に乗せてあげたかったんだけど、土曜日は役員としての仕事があり、それも叶わず。
なんとか日曜日に乗せてあげることが出来、父親としての責務を果たした心持がしました。



御定目録送りの儀
地元の祭礼行事の一つです。
2日間のお祭りのメインスポンサー(「山本(やまもと)」と呼びます。)へ目録を持っていく行事です。
ちょうちんを付け伊勢音頭を歌いながら役員全員でワカヤから山本まで町内を練り歩きます。
山本へ着くと「贅沢なお祭りはしないこと、争いはしないこと、飲みすぎないこと等が記された目録を納め、囃子を上げます。
囃子方にとっては、この時の囃子奏上が最も重要な見せ場(聞かせ場?)となります。
祭り囃子なんてのは大抵、酔っぱらってる時に聞こえてくるものですが、この時だけは役員全員がシラフで聞いているからです。
囃子が一通り奏上されると、次は、山本を受けて頂いた事に対して、中老行事(厄歳の同級生)からお礼の意味で鏡割り、宴会へと続きます。


